こんばんは。すでにTVや新聞の報道でご存知だと思いますが、テニスの錦織選手が全豪オープンでベスト8に入りました。これは本当にスゴイことだと思います。
ゴルフについては何も申せませんが(ゴルフは全くやらないので)、テニスなら語りますよ。20代から30代は草テニスではありますが、かなりハマッていましたので。
私がテニスを始めた頃というのは、世界のプロ選手では、男子はジョン・マッケンロー(米)、ジミー・コナーズ(米)、イワン・レンドル(チェコスロバキア)、女子はマルチナ・ナブラチロワ(チェコスロバキア)、クリス・エバート・ロイド(米)、ハナ・マンドリコワ(チェコスロバキア)達が活躍していました。フィラを有名にしたビヨン・ボルグ(スウェーデン)の引退後の時期ですね。
〔※選手の国籍は当時のもので、現在の国籍とは異なる選手もいます。なお、チェコスロバキアは現在チェコとスロバキアの二つの国に分かれています。〕
1980年代は日本でもテニスブームが到来し、街にはラケットを持って歩く若者がいたる所にいました。ファッションの一部としてのテニスという側面もありましたね。いわゆる「デカラケ」が登場したのもこの頃です。ウッド製の標準サイズのラケットから、カーボンやグラスファイバーを使った大きなサイズのラケットが登場したというわけです。
テニスブームの割には、TVのテニス番組はほとんどありませんでした。ですが、毎週日曜日の夜11時30分から30分間ではあるものの、テレビ東京で「ワールドビッグテニス」という海外の好試合をダイジェストで送るという番組がありました。
私は自分のレベルアップに役立てようと、毎週真剣に見ていました。ジャムをはじめ、食品でおなじみの明治屋がスポンサーで、とても雰囲気の良いお洒落なCM(今流しても新鮮だと思います)も気に入っていました。
そのうちTVでは飽き足らず、プロの試合も見に行くようになりました。「セイコー・スーパー・テニス」(セイコーがスポンサー)という男子のインドアコートの大会で、トッププロ数十人を呼び毎年秋に東京で開催されていたのです(1995年で大会は中止)。会場は主に原宿駅に近い国立代々木競技場でした。
チケットは一番高いSS席で1万円(決勝戦)だったと思います。私はこのときだけは奮発していつもSS席で見ていました。世界のトッププロを間近で見られるのですから、決して1万円は高くないなと今でも思います。
「速い!めちゃくちゃ速い!」というのが世界のトッププロの打球の印象です。草テニスプレーヤーではとても打ち返せないでしょう。サーブは打球が見えないくらいの速さです。ラリーの最中、観客は皆打球の行方を目で追い、静かに観戦しています。ショットが決まると、皆大きな拍手。あの雰囲気がたまりませんね。
「プロのことははわかった、じゃあカツヲはどうなの?」。はいはい、説明させていただきますよ。学生時代はサークル(ちなみに水泳でした)の後輩が住んでいる所の公営コートを予約してくれて、そこでよくやっていました。コートがクレーコート(土のコート)なので、乾燥しているときは靴下が埃だらけになりましたね。終わると、後輩のアパートでビールです(これがうまい!)。
社会人になってからは、運良く会社が千代田区内のビル屋上コートの法人会員になっていたので、そこで会社のテニス好きのメンバー(10人くらい)とやっていました。終わった後はもちろん居酒屋でビールです(これがまたうまい!)。
さらに運が良いことに、会社が山中湖にテニスコート付き(1面ですが)マンションの1室を所有していたので、そこへもいつものメンバーで月1くらい行っていました。会社のメンバーの中に1人たいへん上手い男性がいて、この人のおかげで上達したと思います。
さらにさらに運が良いことに、会社にテニス好きの役員がいました。その役員がいつも予約している品川プリンスホテルのインドアコートに行けないとき、私達に「キャンセルしても料金取られるから」ということで、使わせてくれたのです。ただし、使えるのがわかるのがいつも予約時間直前でした。このため、テニス道具一式をロッカーに常備していました。
自分達の給料ではとても払えないコート使用料なので、1時間めいっぱい休憩をせずにプレーしました。ただ、時間が夜10時からとか、午前7時からとかの強烈な時間帯(もちろん平日)でした(笑)。ワイシャツを着ながら品川駅に走っていったことが今ではいい思い出です。
ということで長くなりましたが、テニスの腕前は中級の上レベル(決して上級ではない)私なのでした。ちなみに、当時の愛用していたラケット(ヨネックス R-22)は今も2本持っています。ガットを張り替えれば今も使えます。R-22は、ナブラチロワが使っていたモデルで、女性の愛用者が多いヒットモデルでした。腕力がいまいちの私にはぴったりのラケットです。
では、次回は「バルト海の思い出」のつづきを書きます。ではまた!